記事「反中に異議アリ」http://news.jorudan.co.jp/mb.cgi?action=2&id=JD1348021870590&f=n

aigo_m2012-09-19

ジョルダンニュース!
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?反中に異議アリ(2012/9/19 11:31)
昔、私は青島(チンタオ)の海から、遠く離れた日本の方へと向いて、望郷の念に駆られていた。砂浜は家族連れの海水浴客で賑わい、その横では干物が売られていた。
青島は嘗てのドイツ租界が有名で、瀟洒な建物がまだ多く残っており、リゾート地として別荘も多く、中国人の中でも最も穏やかな「治安の良い」山東省の最東に在った。タクシーの運転手も、道行く人も、私が日本人と知ると「良く来たな」と声を掛け、皆親切だった。
また、青島には「ラオシャンビール」という地元の湧き水を利用したビールがある。
「お前は、
知らないだろ?普通の旅行客は『青島ビール』しか知らないんだが、あれは黄河の水だからダメだ。ラオシャンなら綺麗な水だから美味いよ!」そう言って、地元のビールを紹介してくれていた。
あれから20年。中国は反日の嵐が吹き荒れ、山東省の青島や済南では日本企業が襲撃された。穏やかな山東の人々の特徴を知る者としては、正直、ショックだった。
済南に留学していた頃、パナソニックの社員の愚痴を聞きながら、食事を良く奢ってもらっていたことを思い出した。
「中国社員は言う事をなかなか聞いてくれない。きちんとやってくれるようにするのには大変だ」そう言いつつも、中国や企業の発展のため、日中友好のために彼は尽力していた。当時の中国は、改革開放を掲げ始めてまだ日が浅く、社会主義的な働き方がまだまだ残っていた時代だったから、社員教育は容易では無かった。それでも、生産性を上げるため、粘り強く、ホームシックに耐えながら、彼らは働いていた。
済南の大学では、身体の弱い私のために、副学長がわざわざお粥を作って寮まで運んでくれた事もあった。
「お粥をウチの母に作らせた。早く良くなって授業に出ろよ」彼は学校のナンバー2であるにも関わらず、大変気さくで、面倒見の良い人物だった。なんだかんだ文句を言いつつも、我々留学生のために常に尽力してくれていた。
帰国後、私は5年経っても、マトモな仕事に有り付けなかった。一度就職したものの、会社は倒産してその後は契約社員など転々とした。そんな折、済南の大学へ、何となくふらりと尋ねて行った。 アポなしだったが、副学長は私を覚えていて、どうしてるのかとか
色々話しをしてくれていたのだが、私は随分中国語能力が後退していて、とても恥ずかしい思いをした。だが、副学長は私に、 「お前は良い生徒だった。真面目で礼儀正しい。日本人は皆そうだ。日本人に一番学びに来て欲しいといつも思っている」そう言ったくれた。その言葉に、私は涙がこぼれる思いだった。その他、留学期間中の中国人の親切や思いやりは、数え切れない…。
今、反日で襲撃や日本人に暴力を振るう人たちが、こういう理性有る人々と同じとは到底思えない。画像を見る限り、彼らは若年層であり、日本人との交流も少ないだろう。一説には、デモをアルバイトでやっているなどという情報もある。
日本人の中でも、相次ぐ反日情報に怒り心頭している人も多かろう。だが、待って欲しい。反日に対抗して、反中をしたとして、何の理があるだろうか。
日夜、何十年も掛けて真に日中友好に努力している人たちが居る事を忘れ、一瞬にしてそれらを潰して良いのか。
友好などというものは、すぐに作られるものではない。それは両国ともに、長い時間を掛けてやってきたことなのだ。
間違っても、「中国人死ね」などという英文を掲げたり、多くの理性的な中国人に対する誹謗中傷をしては、全てが台無しになる。デモを口実に、略奪した連中と同じ土台に立つ事になる。
海外では、日本人の礼儀ただしさ、気遣いが、尊敬されている。我々先人が作ってくれた、素晴らしい日本の文化、人の交流を、今の世代が壊してはならない。日本人はあくまで冷静に、客観的に、そして寛大で在る事が、これからの「日本の」数十年を造り上げる土台になるのである。